祭り用大太鼓が前回張替から8年が経過して張替の時期を迎えたことと、今年の祭り前に練習用大太鼓が経年劣化で練習中に敗れたため、昨夜A太鼓店の社長に来ていただいて張替の見積もりを依頼しました。
練習用の大太鼓は大きく裂けるように破れていたため、大太鼓の胴の中が見えるのですが、過去の張替の記録がいくつも墨書きされていました。
その中でも一番古そうな文字は「弘化?年」及び「文化二年二月」と読めます。
元号を調べて西暦に直すと「弘化」は1844年-1847年、「文化二年」は1805年です。
なんとまあ、200年以上も前から使われていたことになります。
清児の先代地車は旧市中町が江戸時代末期の天保年間(1830年-1843年)に新調したものですが、それよりもまだ古い太鼓で、江戸時代後期の作です。
この大太鼓が新調された当時はどのように使われていたのでしょう?
盆踊り用?それとも清児先々代地車が存在した?またはそれ以外に用途があったのか?
今となっては地車用にはサイズが小さく、長年練習用として、どちらかといえば粗末な扱いをされてきた大太鼓ですが、こんな古い歴史があったとはビックリです。
太鼓屋さんの見立てでは、傷みは激しいものの張り替えればまだまだ十分使えるとのことですから、これからはもっと大事にして後世に引き継がないといけませんなあ。
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