昨夜、第1回地車仲代表者会議を開催し、約40名の参加がありました。
今年の予算案、来年の締め直しに関する各団体の負担額、今後の地車維持管理費の捻出方法、永劫会入会案内及び親睦ソフトボール大会について協議しました。
締め直しに関しては、青年団・若中・若頭・育成会・安全委員で300~350万円の負担をお願いしています。
また、飾り物の経年劣化による更改や、大太鼓の張り替えなどで、今後800万円以上の経費負担が見込まれるため、その捻出方法が大きな課題です。
祭礼団体による負担にも限界があり、広く町会で負担していただくことができないものか、町会に申し入れしているところです。
恒例の祭礼団体親睦ソフトボール大会は3月14日(日)に東山グラウンドで開催予定。
青年団2チーム、若中2チーム、若頭1チーム、育成会1チーム、年番・安全委員連合1チームの計7チームで優勝カップを争います。
2010年1月31日日曜日
2009年12月5日土曜日
地車仲緊急全体集会
本日(12/5)、急な呼びかけでしたが、町会長をはじめ町会役員さんを交えて緊急で全体集会を開催しました。
11/8の反省会で出た意見・要望14項目に対する年番見解の説明と、経費に関わる問題3点、地車修理の件、大太鼓張替の件、飾り物老朽化の件についても現状を説明しました。
3件とも全て一度に片づけようとすると少なくとも1,500万円以上のお金が必要です。
現実を直視して、長期計画が必要です。
大太鼓については、練習用の大太鼓の胴の内部から「文化二年二月」(西暦1805年)の墨書きが見つかり、200年以上前のものであることが判明しました。
200年前から清児に地車があったとは思えず、こんな古い大太鼓がなぜ清児に残っているのかは不明です。
あくまでも仮設ですが、天保11年(1840年)岸和田市中町新調の清児先代地車を大正11年(1922年)に購入した際にこの大太鼓もいっしょに付いてきた可能性が高いと推測されます。
仮にそうだとしても、天保地車より文化大太鼓の方が35年も古く、清児に売却した大正11年の時点でも100年以上が経過しており、果たしてそんな歴史ある大太鼓を中町が手放すようなことがあるのかどうか、疑問の残るところです。
何か裏付けが欲しいところです。
最後に、地車永劫会会員募集について、T会長から説明がありました。
11/8の反省会で出た意見・要望14項目に対する年番見解の説明と、経費に関わる問題3点、地車修理の件、大太鼓張替の件、飾り物老朽化の件についても現状を説明しました。
3件とも全て一度に片づけようとすると少なくとも1,500万円以上のお金が必要です。
現実を直視して、長期計画が必要です。
大太鼓については、練習用の大太鼓の胴の内部から「文化二年二月」(西暦1805年)の墨書きが見つかり、200年以上前のものであることが判明しました。
200年前から清児に地車があったとは思えず、こんな古い大太鼓がなぜ清児に残っているのかは不明です。
あくまでも仮設ですが、天保11年(1840年)岸和田市中町新調の清児先代地車を大正11年(1922年)に購入した際にこの大太鼓もいっしょに付いてきた可能性が高いと推測されます。
仮にそうだとしても、天保地車より文化大太鼓の方が35年も古く、清児に売却した大正11年の時点でも100年以上が経過しており、果たしてそんな歴史ある大太鼓を中町が手放すようなことがあるのかどうか、疑問の残るところです。
何か裏付けが欲しいところです。
最後に、地車永劫会会員募集について、T会長から説明がありました。
2009年11月28日土曜日
大太鼓
祭り用大太鼓が前回張替から8年が経過して張替の時期を迎えたことと、今年の祭り前に練習用大太鼓が経年劣化で練習中に敗れたため、昨夜A太鼓店の社長に来ていただいて張替の見積もりを依頼しました。
練習用の大太鼓は大きく裂けるように破れていたため、大太鼓の胴の中が見えるのですが、過去の張替の記録がいくつも墨書きされていました。
その中でも一番古そうな文字は「弘化?年」及び「文化二年二月」と読めます。
元号を調べて西暦に直すと「弘化」は1844年-1847年、「文化二年」は1805年です。
なんとまあ、200年以上も前から使われていたことになります。
清児の先代地車は旧市中町が江戸時代末期の天保年間(1830年-1843年)に新調したものですが、それよりもまだ古い太鼓で、江戸時代後期の作です。
この大太鼓が新調された当時はどのように使われていたのでしょう?
盆踊り用?それとも清児先々代地車が存在した?またはそれ以外に用途があったのか?
今となっては地車用にはサイズが小さく、長年練習用として、どちらかといえば粗末な扱いをされてきた大太鼓ですが、こんな古い歴史があったとはビックリです。
太鼓屋さんの見立てでは、傷みは激しいものの張り替えればまだまだ十分使えるとのことですから、これからはもっと大事にして後世に引き継がないといけませんなあ。
練習用の大太鼓は大きく裂けるように破れていたため、大太鼓の胴の中が見えるのですが、過去の張替の記録がいくつも墨書きされていました。
その中でも一番古そうな文字は「弘化?年」及び「文化二年二月」と読めます。
元号を調べて西暦に直すと「弘化」は1844年-1847年、「文化二年」は1805年です。
なんとまあ、200年以上も前から使われていたことになります。
清児の先代地車は旧市中町が江戸時代末期の天保年間(1830年-1843年)に新調したものですが、それよりもまだ古い太鼓で、江戸時代後期の作です。
この大太鼓が新調された当時はどのように使われていたのでしょう?
盆踊り用?それとも清児先々代地車が存在した?またはそれ以外に用途があったのか?
今となっては地車用にはサイズが小さく、長年練習用として、どちらかといえば粗末な扱いをされてきた大太鼓ですが、こんな古い歴史があったとはビックリです。
太鼓屋さんの見立てでは、傷みは激しいものの張り替えればまだまだ十分使えるとのことですから、これからはもっと大事にして後世に引き継がないといけませんなあ。
2009年11月18日水曜日
新年度運営委員と青年団連合の意見交換会
今年の夏に青年団連合との約束事があり、今年の祭りが終われば来年度の運営委員が青年団連合の意見を聞いて、改めて来年の祭りに向けての運営方法について協議するというものです。
運営委員会の反省会が終わって5日後となる昨夜、その約束を果たすべく新体制の運営委員15名とと7町青年団11名が森町会館に集まりました。
ひとまず今回は青年団連合の意見を聞く場という設定でしたが、青年団連合の主張は、今年の春から夏にかけて運営委員会に訴えかけてきた主張となんら変わるものではありません。
我々運営委員としても、青年団連合の気持ちは理解できますし、できるだけ各町青年団の意思を尊重して協議を進めていきたいとは思うものの、青年団連合の申し出を無条件に受け入れるほどの裁量はありません。
ひとまず青年団連合の主張に対する運営委員側の姿勢は示しはしましたが、今後ともお互いの考えをより一層理解しあう必要があるようです。
運営委員会の反省会が終わって5日後となる昨夜、その約束を果たすべく新体制の運営委員15名とと7町青年団11名が森町会館に集まりました。
ひとまず今回は青年団連合の意見を聞く場という設定でしたが、青年団連合の主張は、今年の春から夏にかけて運営委員会に訴えかけてきた主張となんら変わるものではありません。
我々運営委員としても、青年団連合の気持ちは理解できますし、できるだけ各町青年団の意思を尊重して協議を進めていきたいとは思うものの、青年団連合の申し出を無条件に受け入れるほどの裁量はありません。
ひとまず青年団連合の主張に対する運営委員側の姿勢は示しはしましたが、今後ともお互いの考えをより一層理解しあう必要があるようです。
2009年11月14日土曜日
平成21年度木島・西葛地車祭礼運営委員会反省会及び引き継ぎ
一昨日の11月12日(木)午後8時から、山手地区公民館において、反省会と運営委員の引き継ぎがありました。
反省会では、各町としての反省点や来年に向けての改善事項が発表されました。
7町パレードは成功裏に終わったものの、今年のコース(旧道逆行)に関しては再考を要するようです。
運営委員の各役員の引き継ぎも行われ、平成22年度の役員は運営委員長:森、副委員長(平成23年度委員長):木積、書記:三ツ松、会計:名越、会計監査:水間、委員:馬場、清児です。
また、平成21年度の運営委員会の中で、今年の祭りが終わったら来年の祭りに向けて改めて青年団連合の意見を聞く場を持つという約束があり、運営委員会新体制での初仕事。
次週11月17日(火)に森町会館です。
反省会では、各町としての反省点や来年に向けての改善事項が発表されました。
7町パレードは成功裏に終わったものの、今年のコース(旧道逆行)に関しては再考を要するようです。
運営委員の各役員の引き継ぎも行われ、平成22年度の役員は運営委員長:森、副委員長(平成23年度委員長):木積、書記:三ツ松、会計:名越、会計監査:水間、委員:馬場、清児です。
また、平成21年度の運営委員会の中で、今年の祭りが終わったら来年の祭りに向けて改めて青年団連合の意見を聞く場を持つという約束があり、運営委員会新体制での初仕事。
次週11月17日(火)に森町会館です。
2009年11月9日月曜日
平成21年度清児町祭礼反省会
昨日(11/8)は、恒例の反省会。
今年の祭りの締めくくりであり、来年の祭りに向けたスタートでもあります。
各団体た担当部署の責任者を中心に50名以上の関係者が集まりました。
各担当部署からの視点で、今年の祭りを振り返った評価・反省と、来年の祭りに向けた意見・要望が発表されました。
この貴重な意見を我々年番が整理し、来年の祭りまで時間をかけて関係団体のみなさんと協議を重ねる予定です。
良いところは継続・発展させ、改めるべきところは改め、可能な限り要望を実現させるべく尽力する。といきたいところですが、何分、人材にも予算にも限りがあります。
一つ一つの課題に優先順位を付けて、限られた条件の中で、できる限りみなさんの要望にお応えし、清児町が一丸となって、来年も今年以上に「ええ祭り」ができるよう、精一杯働くことを誓います。
乞うご期待!!
今年の祭りの締めくくりであり、来年の祭りに向けたスタートでもあります。
各団体た担当部署の責任者を中心に50名以上の関係者が集まりました。
各担当部署からの視点で、今年の祭りを振り返った評価・反省と、来年の祭りに向けた意見・要望が発表されました。
この貴重な意見を我々年番が整理し、来年の祭りまで時間をかけて関係団体のみなさんと協議を重ねる予定です。
良いところは継続・発展させ、改めるべきところは改め、可能な限り要望を実現させるべく尽力する。といきたいところですが、何分、人材にも予算にも限りがあります。
一つ一つの課題に優先順位を付けて、限られた条件の中で、できる限りみなさんの要望にお応えし、清児町が一丸となって、来年も今年以上に「ええ祭り」ができるよう、精一杯働くことを誓います。
乞うご期待!!
2009年10月25日日曜日
平成22年度祭礼に向けて年番活動スタート
10月10日(土)、11日(日)の2日間、無事に今年の祭りが終わりました。
後梃子担当の若中1名が宮入りの後のスーパーダッシュの際に転倒し、鎖骨骨折の負傷を負いましたが、それ以外は大きな事故もなく、ええ祭りができました。
宵宮前日の10月9日(金)午後2時から、運営委員会によるユニオン周辺のテント設置と、安全対策や仮設トイレの案内張り紙。
夕方からは自町の準備で、夕食を取る間もなく午後10時頃までかかりました。
本宮翌日の12日(月)は8時30分からは若頭とともに自町の後片付け。
私は途中9時からは運営委員としてユニオン周辺のテントの後片付けです。
年番・年番補佐だけは昼食(298円弁当)を挟んで、午後4時過ぎまで片づけに追われました。
夕方5時からは地車仲の楽策の準備、6時開宴です。
1年間祭り準備に費やした苦労の数々は、この楽策をみなさんの笑顔で迎えられることでお釣りがきます。
お開きは午前0時、宵宮、本宮、翌日の片づけとこの後宴も含めて、3日間が祭りみたいなもんです。
この楽策で、正式に私たち次年度年番・年番補佐が紹介されました。
このブログのタイトルも「清児町年番(見習い)日記」から「清児町年番日記」に格上げ。
ついに平成22年度祭礼に向けた年番活動がスタートしました。
後梃子担当の若中1名が宮入りの後のスーパーダッシュの際に転倒し、鎖骨骨折の負傷を負いましたが、それ以外は大きな事故もなく、ええ祭りができました。
宵宮前日の10月9日(金)午後2時から、運営委員会によるユニオン周辺のテント設置と、安全対策や仮設トイレの案内張り紙。
夕方からは自町の準備で、夕食を取る間もなく午後10時頃までかかりました。
本宮翌日の12日(月)は8時30分からは若頭とともに自町の後片付け。
私は途中9時からは運営委員としてユニオン周辺のテントの後片付けです。
年番・年番補佐だけは昼食(298円弁当)を挟んで、午後4時過ぎまで片づけに追われました。
夕方5時からは地車仲の楽策の準備、6時開宴です。
1年間祭り準備に費やした苦労の数々は、この楽策をみなさんの笑顔で迎えられることでお釣りがきます。
お開きは午前0時、宵宮、本宮、翌日の片づけとこの後宴も含めて、3日間が祭りみたいなもんです。
この楽策で、正式に私たち次年度年番・年番補佐が紹介されました。
このブログのタイトルも「清児町年番(見習い)日記」から「清児町年番日記」に格上げ。
ついに平成22年度祭礼に向けた年番活動がスタートしました。
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